2014年8月28日 (木)

こんなアホな放送するな!3

 本日の日本テレビプロ野球中継内の「日本人の人生を変えたプロ野球名場面のトップ10」という企画はいったい何なのだ。1位から10位まですべて王、長嶋をはじめ末次まで登場するジャイアンツ選手の活躍シーンのみ。
 「プロ野球の名場面」を見て人生が変わった人間も極めて稀であろうが、せめて「巨人ファンの人生を変えたプロ野球名場面のトップ10」に変更すべき。本来は「巨人ファンが選んだプロ野球名場面のトップ10」だろう。そしてこんなものは、あるかないかは知らないがジャイアンツ応援番組のようなところですべき。
 阪神巨人戦の中継が他局でなかったためやむなく読売テレビを視聴したが阪神の劣勢もあり、怒り心頭。


 実に6年ぶりの「茶っぴ庵閑話」です。チャッピーが亡くなってもう6年も経ちました。この6年いろんな事がありました。孫が二人出来ておじいさんになりました。
 又、ボチボチ「茶っぴ庵閑話」を再開したいと思っています。

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2005年12月24日 (土)

男たちの大和の間違い

 今日はシアタードラマシティの和央ようかの公演に行く予定だったが、和央の転落事故で中止になった。退団が決定したため、妻は今日は私と、月曜日には娘と行く予定だった。
 妻は中止を残念がるより、和央ようかの怪我の状態をひたすら心配し、今年は悪いことが続くと落ち込んでいる。(私はチケットの払い戻しはどうなるのかな・・・?でも口に出せないような感じ)
 ファンというものはこういうものだろう。

 予定が消えたため、映画「男たちの大和」を観にいった。
 以前の海戦映画に比べスケールも大きく、良く出来たいい映画だった。詳しい評は省略するが、ただ一つ非常に気になる場面があった。
 生き残った主人公?の神尾が戦死した戦友の母を訪ねるシーン。訪ねてきた神尾にその母は「のこのこと生き残って帰ってきて・・・」というような言葉で罵る(正確な台詞は忘れた・・・)。当時の母であれば、心の中ではそう思っても絶対に口には出さない言葉だと思う。
 沖縄で戦死した伯父の戦友が訪ねてくれた時、祖母は自分の子供が帰ってきたように接し、羨ましいと思いながらも、息子の最期の様子を夢中で聞き入り感謝したという。
 映画の余貴美子も最後は優しく接したが、先の言葉は映画の構成上必要な台詞だったのかも知れないが、心の中の言葉とするべきで、口に出す言葉ではない。制作者は当時を理解していない。

 余談だが、祖母は息子の戦死公報を受け取っても、涙も見せず、兄の戦死に泣きじゃくる妹(私の母)を憲兵に叱られると嗜めたという。その後、祖母は89歳で死ぬまで、常に○○ちゃんが、○○ちゃんがと伯父のことを言い続けていたが・・・。
 良い悪いは別にして、軍国の母というものはこういうものだったのだろう。

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2005年12月 1日 (木)

記憶~コンバット~

 録画した「喜びも悲しみも幾歳月」を見た。しかし、記憶に残るシーンはなにもなかった。
 この映画は昭和32年の映画なので、当時、私は2歳か3歳、覚えている訳がないか。でも、やけに青色が強調された総天然色のキラキラするスクリーンを見ながら若山彰の歌声を聞いたのは間違いないのだが・・・。

 これまたNHKBSで懐かしい「コンバット」が放映されている。サンダース軍曹の活躍をドキドキしながら見ていた私は小学生だった。今再び見てもなかなかストーリーを思い出さない。
 しかし、先日の放映で、心優しいドイツ兵がフランス人の少年にチョコレートをあげるシーンを見て結末が解った。「この少年がこのドイツ兵を撃ち殺す。ドイツ兵を撃った少年は得意になり喜ぶが、死体の顔を見て愕然となる。」と。
 覚えていた通りの展開だった。撃ったドイツ兵の顔を見るシーンも完璧に覚えていた。やはり強烈に記憶に残るシーンてあるものだ。
 覚えていても小学生の時の記憶なのだからなんの不思議もないが・・・。

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2005年11月27日 (日)

田舎の映画館

 今年6月に今流行りのシネコン、TOHOシネマズ二条がオープンした。
 先日初めてそこで「ALWAYS 三丁目の夕日」を観た。映画館全体が清潔できれいであり、座席配置がゆったりしている。そして、スクリーンが見やすく音響効果もよかった。以前の映画館に比べいい事ずくめの感である。
 昨日は娘の誘いで「私の頭の中の消しゴム」を三人で観た。よみうりテレビの「Pure Soul~君が僕を忘れても~」のリメイク版だが、ソン・イェジンは永作博美より可愛かった。

 テレビが家庭に入る直前の昭和30年代の初め映画は全盛期だった。
 京都から汽車で一時間の田舎町の私の故郷にも一軒の映画館があった。父が勤務から帰ってきて食事を終えた後、父母兄私の五人、時には近所の一家と一緒に歩いて5分程の映画館によく出かけた。いつも畳敷きの2階席だった。お菓子を買って映画館へ向かう光景は残っているが、家に帰る記憶は残っていない。多分いつも途中で眠ってしまったのだと思う。東映の時代劇、日活アクションが多かった。
 小学生の頃は怪獣映画を中心に、吉永小百合、浜田光夫等の日活青春映画、植木等や谷啓の喜劇、東映の漫画等を友達とよく見に行った。
 汚い映画館だったが、子供の頃の私にとっては楽しみの一つを与え続けてくれた。
 そんな映画館も私が中学生になった頃には休館状態となり、たしか「黒部の太陽」の上映を最後に廃館になったと思う。
 その後、時々京都で少し緊張しながら映画を観たが、大学生になるまでは私の映画空白期間となった。

 幼少の頃に見た映画はストーリーは記憶に残っていないが、断片的なシーンは残っている。~ジャックナイフが出てきたよ~の石原裕次郎の「錆びたナイフ 」等主題歌と共に断片的なシーンが残っているものがある。その中の一つ~おい ら岬の 灯台守は 妻と二人で ~と共に波しぶきのシーンが残っている「喜びも悲しみも幾歳月」が29日にNHKBSで放映される。記憶の糸を辿ってみたい。

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