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2006年1月29日 (日)

5年前の写真

 娘も4月からは社会人、我が家の家族旅行も今後益々日程調整が困難に成る事が予想されるため、3月に、今回は近場から少し離れ、オーストラリアへ行くことにした。

 旅行の申し込みで5年前に作ったパスポートを見ていると、取得当時、以前のパスポートの写真に比べ、私も妻も、なんか年いってけったいな顔やなと思った写真が、今の私や妻よりもまだましと思えるから不思議である。
 運転免許の写真でも、いつもそのように感じるが、5年という歳月は確実に人間を変化させる。
 作家の吉行淳之介は、あまりにも美少年であるため、年老いた顔姿を想像することが出来ず、自分は若死にするに違いないと思ったという。
 私も同じ様な事を感じた時があった(自惚れすんまへん)。ところが、30代に入れば徐々に体重は増え、髪は減り始め、十分自分の将来の姿を想像出来るようになった。今ではよぼよぼのお爺さんになった時の顔さえ、なんとなく判るような気がする。
 5年後のパスポートの写真より今の自分の方がまだましなのだろう。

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2006年1月15日 (日)

消えたふるさと

 私の故郷園部町は隣接3町と合併し、今年1月1日に南丹市になった。
 園部は江戸時代、園部藩3万石の城下町として栄え、明治22年の市町村制施行当初より園部町として、116年の歴史を持っていた。
 口丹波の政治、経済、文化の中心地であったが、昭和の大合併では、口丹波のライバル亀岡が人口3万を越え市に昇格したのを横目に見ながら、園部は町制を続けることになった。
 しかし、亀岡にはない法務局、税務署、労働基準監督署等、多くの公の機関を有し、口丹波の中心地との自負を園部人は持っていた。
 平成の大合併の嵐の中、我が園部町も隣接町との合併となった。合併後の人口の5割弱を有し、町役場が市役所に変わり、新市の中心でありながらも、新市名は馴染みのない南丹市、由緒ある園部の名は消えてしまった。
 園部市誕生を待ち続けていた、園部幼稚園、園部小学校、園部中学校、園部高校出身の生粋の園部っ子だった私としては、なんとも寂しい限りである。
 山陰線の電化一部複線化、京都縦貫道の完成以後、除々に人口が増えていた園部町、園部市誕生を目指して欲しかった。
 船井郡園部町から南丹市園部町へ、4府県と隣接する全国でも珍しい市、市制要件を無視する平成の大合併、郡がなくなり、田舎も市になる、なんかおかしい。
 今度は道州制か・・・。長い歴史を持つ地方自治を打ち砕く大合併、そして道州制、本当に国、住民にとって必要なものなのだろうか。

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