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2005年12月24日 (土)

男たちの大和の間違い

 今日はシアタードラマシティの和央ようかの公演に行く予定だったが、和央の転落事故で中止になった。退団が決定したため、妻は今日は私と、月曜日には娘と行く予定だった。
 妻は中止を残念がるより、和央ようかの怪我の状態をひたすら心配し、今年は悪いことが続くと落ち込んでいる。(私はチケットの払い戻しはどうなるのかな・・・?でも口に出せないような感じ)
 ファンというものはこういうものだろう。

 予定が消えたため、映画「男たちの大和」を観にいった。
 以前の海戦映画に比べスケールも大きく、良く出来たいい映画だった。詳しい評は省略するが、ただ一つ非常に気になる場面があった。
 生き残った主人公?の神尾が戦死した戦友の母を訪ねるシーン。訪ねてきた神尾にその母は「のこのこと生き残って帰ってきて・・・」というような言葉で罵る(正確な台詞は忘れた・・・)。当時の母であれば、心の中ではそう思っても絶対に口には出さない言葉だと思う。
 沖縄で戦死した伯父の戦友が訪ねてくれた時、祖母は自分の子供が帰ってきたように接し、羨ましいと思いながらも、息子の最期の様子を夢中で聞き入り感謝したという。
 映画の余貴美子も最後は優しく接したが、先の言葉は映画の構成上必要な台詞だったのかも知れないが、心の中の言葉とするべきで、口に出す言葉ではない。制作者は当時を理解していない。

 余談だが、祖母は息子の戦死公報を受け取っても、涙も見せず、兄の戦死に泣きじゃくる妹(私の母)を憲兵に叱られると嗜めたという。その後、祖母は89歳で死ぬまで、常に○○ちゃんが、○○ちゃんがと伯父のことを言い続けていたが・・・。
 良い悪いは別にして、軍国の母というものはこういうものだったのだろう。

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2005年12月 1日 (木)

記憶~コンバット~

 録画した「喜びも悲しみも幾歳月」を見た。しかし、記憶に残るシーンはなにもなかった。
 この映画は昭和32年の映画なので、当時、私は2歳か3歳、覚えている訳がないか。でも、やけに青色が強調された総天然色のキラキラするスクリーンを見ながら若山彰の歌声を聞いたのは間違いないのだが・・・。

 これまたNHKBSで懐かしい「コンバット」が放映されている。サンダース軍曹の活躍をドキドキしながら見ていた私は小学生だった。今再び見てもなかなかストーリーを思い出さない。
 しかし、先日の放映で、心優しいドイツ兵がフランス人の少年にチョコレートをあげるシーンを見て結末が解った。「この少年がこのドイツ兵を撃ち殺す。ドイツ兵を撃った少年は得意になり喜ぶが、死体の顔を見て愕然となる。」と。
 覚えていた通りの展開だった。撃ったドイツ兵の顔を見るシーンも完璧に覚えていた。やはり強烈に記憶に残るシーンてあるものだ。
 覚えていても小学生の時の記憶なのだからなんの不思議もないが・・・。

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