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2004年7月25日 (日)

 昨日、義姉(次兄の妻)の一周忌の法要が営われた。
 兄夫婦は子供には恵まれなかったが、とても仲がよかった。実家で出会った時も、いつまでも、新婚のように二人だけの世界を持っている感じだった。
 子供の頃は、来る日も来る日も一緒の仲のよい兄弟も、大学、就職、結婚と進むにつれ疎遠になり、盆や正月等、年に数回会うだけになっていた。しかしお互い自分たちの生活を守り、兄夫婦も二人仲良く平穏に暮らしていればそれが一番と思っていた。
 ところが、姉の突然の発病、ありとあらゆる治療そして忙しい仕事を持つ兄の献身的な看病の甲斐も無く昨年7月末、姉は46歳でこの世を去った。
 親、子供を亡くした者は誰もほぼ同じ深い悲しみを感じることになると思うが、妻、夫を亡くした場合、悲しみの度合いは個人差があると思う。兄夫婦は、仲がよく、人生のすべてを二人だけで歩んでいた。最後は、自分の母が付き添うよりも、兄が看病してくれることを望んだ姉。兄は最大の悲しみを感じている。
 46歳の若さで亡くなった姉の無念は一番だが、一人取り残された兄の胸中は察するに余りある。法要後の食事の席での挨拶で、兄は「一年間、毎日、一年前の○○子の事を思い続けてきた。しかし、もう一年前の○○子も居なくなる。」と嘆いた。
 まだ独身だった私は、新婚当時東京に住んでいた兄宅を訪ね、兄が仕事のため、姉の案内で東京見物に出かけたことがある。東京が珍しい私は、やはり東京タワーと思い、東京タワーへ行った。そこで、観光客の外国人が、何か勘違いをして二人の写真を写してあげると声をかけてきた。姉と二人笑いながら写してもらった。多くは忘れてしまったが、その時の姉の笑顔は残っている。若かった。
 兄は、一人では広すぎる家のいたるところに、新婚の頃の写真や、いつまでも若く見えた姉の笑顔の写真を飾っている。仕事を終えた後、写真を眺めながら家事をしているのだろう。私は、兄を思う気持ちは人一倍強いと思うが、男兄弟というものは、具体的に何も手助けすることが出来ず歯がゆい気持ちで一杯である。
 まだまだ、姉の事だけを思いながらの生活が続くだろうが、少しずつ気持ちを整理して、これからの自分自身の生活にも目を向けてくれることを願う。

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2004年7月18日 (日)

祇園祭、新選組!展

 平成16年7月17日、祇園祭山鉾巡行で賑わう人込みの中、妻と京都文化博物館へ「新撰組!展」を見に出かけた。6月から始まったこの展覧会は見てみたいと思っていたが、なかなか機会が無く、閉幕3日前にやっと行くことが出来た。しかし、予想はしていたが、山鉾巡行見物から流れてきた人たちで黒山の人だかり、最悪の見学となった。
 私は日本史が好きだ、特に幕末がよい。学生の頃は何故か長州ファンで、吉田松陰、桂小五郎等の生き様に関心を持った。歳を重ねるにつれ、長州も会津も無くなり、幕末のいろんな人物の生き方に興味を持ち共感を感じる者も増えてきた。
 今回も、近藤の稽古着、永倉の陣羽織、近藤、土方、沖田、永倉の直筆の書等を眺めていると彼らを身近に感じ、なんとも表現しづらい気持ちになった。これらの人物は間違いなくこの世にいた。池田屋襲撃を終えた直後の彼らは140年前の祇園祭をどのような気持ちで眺めていたのか。今も昔も人間の本性はそんなに変わるものではなく、死が身近な生活でも、現代の人間と同じように、いろんな事を思い、考え、悩み生きていたはずだ。
 永倉新八、斎藤一は明治も生き抜き大正4年に死去、最後の隊士と言われた池田七三郎は昭和13年まで生きた。生前の新選組隊士を知っている人間は今の時代に多く存命するはずだ。幕末はそんなに遠い昔ではない。
 人は多かったが、なんとか隙間から覗き見をし、近い歴史ロマンを感じる有意義な時間を過ごせた。
 グッズ売り場でフルタ製菓の新選組池田屋騒動フィギアを2個購入、9人の隊士の中で出てきたのは土方歳三と藤堂平助だった。とてもよく出来ている。
 (写真の館 第3展示室にて土方、藤堂公開中)

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2004年7月11日 (日)

死に体

 大相撲を熱心に見なくなってから久しい。今日はぼんやりと中継を見ていた。
 最後の取り組み朝青龍、琴ノ若戦はいったいなんだ。大相撲に「死に体」「かばい手」は無くなったのか。朝青龍は完全に死に体だ。以前にも貴乃花、武蔵丸戦や若乃花、琴ノ若戦等で死に体、かばい手が無視された判定がいくつもあった。しかし、それはファンを味方につけた贔屓のひきたおしの結果だったが、今回は相撲協会にとって何の得にもならないと思うが。相撲の世界だけで長く生きている審判が「死に体」を知らないとは不思議でならない。しかも死に体を認めないのなら、琴ノ若の手がつくのが早かったのは明らかであるので、取り直しなんて考えられない。
 私は柏戸ファンであったが、昔の相撲は面白かった。柏鵬戦、大鵬の末期の北の富士、玉の海との対戦、北の湖が実力を付けて来た頃の輪島との対戦等とてもわくわくしたものである。
 今の相撲はまったく面白くない。ただ朝青龍の相撲は昔の栃錦、初代若乃花的な相撲で相撲本来の面白さを持っていると思う。朝青龍の実力に近づく四つ相撲の正義の味方のような力士が現れば面白くなるだろう。
 しかし審判も含め協会がしっかりしなければ消滅してしまうぞ。

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2004年7月10日 (土)

1964

 私のホームページのカウンターが2000を超えた。
 ホームページ初心者にとってカウンターの数字が増えていくのを見るのは楽しいものだ。日本史が好きだった私は1192でいい国造ろう鎌倉幕府、もう江戸時代、そして幕末、明治と感じながらカウンターを眺めてきた。
 その中でも1964という数字は私達の世代にはなんとも懐かしい数字である。当時9歳だった私は、東京オリンピックを鮮明な記憶として残している。
 私が社会人になった頃、若手の飲み会で、よく東京オリンピックが話題に上った。私は大学浪人1年、就職浪人1年の2年遅れの新人だったが、私の同期では、大卒の者は私とほぼ同じで、短大卒は記憶があやふやになり、高卒となればほとんど記憶がない状態となった。「円谷知ってるか、三宅知らんのか、ヘイズは、ショランダー君は」と、からかったものだ。
 1950年代末期にテレビの導入と共に始まった我が家の文明開化は60年代に入り急速に電化製品が導入され、64年はその真っ只中であった。文明開化以前をかすかに覚えている私にとって64年は明るかった。いや世の中が明るかった。このままの進歩が続けば、自分が生きている間に月は勿論火星の旅も可能と信じていた。家事はロボットが・・・そんな中での東京オリンピック何もかもが素晴らしく楽しかった。
 そんな訳で1964には特別な思いが残る。最近の若手は1985の阪神の日本一を知っているかどうかが世代の判定になるという。もう少し経てば阪神大震災かな。時の流れは実に早いものである。
 これから私のホームページのカウンターは果てしない未来へと向かっていく。

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