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2004年3月20日 (土)

ペスの時間チャッピーの時間

 私が小学3年の時、二つ違いの兄が級友に子犬を貰ってきた。反対する親を、今も昔も変わらない「自分たちで世話をするから」と言う言葉で説得した結果だった。子犬を見れば親も可愛がり、父はさっそく、子犬が10匹も20匹も入れるような大きな犬小屋を作り、兄と「エス」とか「ぺリ」とか考えていた名前も父の一声で「ぺス」と決まった。
 ぺスは雑種だったが、予防接種の時の体格が中型犬になったり小型犬になったりするような大きさの可愛いメス犬だった。
 小学3年の子供は一日が長く一年も長かった。ぺスも長い子犬時代を過ごし、大人になった。そして、三匹の子供を生んだ。一匹は死産であったが、二匹の子犬に私たちは「チビ太」「ハタ坊」と名づけ可愛がった。まもなく、母の知人の紹介で二匹は知らないところへ貰われていった。突然、親子が引き離され、ペス、チビ太、ハタ坊が可哀相と思った。確か小学4年の時だった。
 その後、ペスは、もう子供を生むことも無く、8年少しの命を終えた。私は高校2年になっていた。「元気な時にもっと散歩に連れて行ってやればよかった。」「8年では早すぎる。」と思い泣いた。しかし、私の少年時代は常にペスがいた。いつの時代でも高校生なら小学生の頃を昔と感じるように、当時の私は、ペスが来た日がかなり前の事であったように思い、ペスとの生活は長かったと感じた。
 時は流れ平成11年9月、子供にせがまれ、私にとって2匹目の犬を飼うことになった。ペットショップで小さな小さなヨーキーを購入、チャッピーと名付けた。
 ペスを飼い始めた翌年に東京オリンピックがあり、次のメキシコまでかなり長かった。しかし、チャッピーの翌年のシドニーからアテネはあっという間だ。ましてチャッピーはペスと別れた時のハタ坊ぐらいの大きさで成長が止まってしまい、年齢的な成長も感じることが出来ない。
 10年ほど前に、「ゾウの時間ネズミの時間」という本がブームになった事がある。動物は一生で打つ心拍数が決まっており、早く打つ小さな動物は早く死に、遅い大きな動物は長く生きるが、早く打つものは、遅いものより、1時間、1日を長く感じ、全ての動物は自分の一生を同じ長さに感じて死んでいく。というような内容だったと思う。
 チャッピーもペスも同じ犬の時間を過ごしているはずであるが、こちらの心拍が遅くなっているので、チャッピーの時間はすごく短いように感じる。
 ペスの頃では考えられない程、最近の犬の生活環境は良くなり、医者との関わりも人間並みになっている現在、色んなことに気をつけて、最低15年ぐらいはチャッピーを長生きさせたいものだ。

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2004年3月13日 (土)

やじと声援

 平成16年3月9日、子供の頃から慣れ親しんでいる西京極球場で娘と阪神のオープン戦を観戦する。
 最近では、この球場でのプロ野球の開催は、阪神の公式戦とオープン戦が年に各一回あるのみであるが、私の子供の頃は阪急、近鉄の主催試合がかなり行われ、近鉄ファンの兄と足を運んだものだ。
 当時でも阪神の試合は満席となったが、パリーグの試合は観客が少なく、ネット裏、ダッグアウト上等どこでも好きなところに座れ野球を堪能する事が出来た。現在のように観客が声を合わせて応援するというような事はまったく無く単発的な声援とやじが飛び交うなかで試合は進んでいく。勝敗の興味が薄れてしまうと、球場は、やじの独擅場と化す。やじを飛ばす人の中でオチのある大変上手いやじを飛ばす、やじ名人が二、三人はいたものだ。一人のやじで球場全体が笑いの渦に巻き込まれるという事さえあった。(観客が少なく声がよく通った)
 さて、1回の裏、阪神の攻撃、鳥谷が打席に入るや否や、オープン戦とはいえ満員のネット裏指定席にチョコンと座っている私たち父子の頭上で突然、「鳥谷~」と天地を揺るがす大声が。娘が震え上がる。振り向くと大男がわめいている。「打て~」「頼むで~」「鳥谷~」ヒットが出ると「ええぞ~鳥谷~」よほど鳥谷ファンなんだなぁと思ったのも束の間、「藤本~」「打て~」「頼むで~」「ええぞ~藤本」「今岡~」「広大~」と続いていく、あまりの大声で頭クラクラ。3回終了時、まだ空席のある3塁指定席を目指し放浪生活を決意。3塁側空席にたどり着きネット裏を見ると相変わらず「桧山~」「片岡~」とわめいている。
 試合も進み席を渡り歩いていると近くに西京極伝統のやじ飛ばし人を発見。「ハゲの大ちゃん、むにゃむにゃむにゃ」ビール片手に声を上げているが、歯切れが悪い。「関川、関川おまえそこしか打てへんやろ」打席に入っているのは関本。わざと名前を間違えるやじり方もあるが、この人そうでもないみたい。今日は何も打ってないのに「そこ」ってどこ。あぁ昔の人は上手かったなぁ。
 古い話になるが、宝塚歌劇の杜けあきの引退公演『忠臣蔵』で、演技が決まった時、間髪入れずに「カリンチョ」のかけ声が。宝塚でのかけ声は珍しいが、見事なかけ声にいたく感激した事がある。演技が決まる、かけ声、拍手、最高の舞台演出である。かけ声の入れ方は一秒の狂いも許されない。数は少なく、ここぞというところに見事に入れるのが最高である。熟練した技術が必要だと思う。へたに入れると迷惑な雑音である。
 野球の場合は技術も何も必要ないが公衆の面前で大声を上げる以上少し考えればと思う人が居る。やじる場合は、正確な知識を持って明確でなければならない。たとえばもし島田紳助がやじれば私は苦笑いするであろうが、ト●ーズ雅がやじれば「???」。
 しかし、しかし頭が痛くなるほどの大声でも、へたなやじ(観客が声を合わせて応援する現在、やじの存在は乏しいが)でも阪神ファンなら許せる。特に公式戦で試合が盛り上がってくるとどんな大きな声も、下手なやじも、窮屈な座席もまったく気にならなくなり、逆に大きな声は舞台演出のひとつに感じるようになる。公式戦では1回から盛り上がり、ここぞも一杯だ。
 しかし、ただひたすら阪神の勝利を信じ、皆に合わせメガホンを叩き、控えめな声で「かっ飛ばせ~・・・」と言いながらビールを飲んで少し気が大きくなり、ここぞという時、我れを忘れ思わず大声(周りの人にはそれでも中途半端の大きさに聞こえる声)を出すような阪神ファンが私は一番好きである。
 日常の生活では出す事のできない声を出し、勝利というただひとつの目標に向かい、見知らぬ人と共にひたすら応援し、心の底から勝利を喜び合う阪神観戦は最高である。
 阪神ファンの皆さん今年も声を張り上げ応援しましょう。

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ロッテ歌のアルバム

 平成16年1月23日、「青春の歌謡ヒットパレードよみがえるロッテ歌のアルバム」を聴きに大津のびわ湖ホールへ妻と出かけた。歌は世につれ世は歌につれを実感する時間を持つことができた。
 私は、麻丘めぐみの大ファンであった。今までの人生でファンとして涙が出るほど嬉しかった出来事は、大相撲の柏戸の優勝、阪神の優勝、そして、昭和47年12月31日に歌謡大賞新人賞の森昌子、三善英史を抑え麻丘めぐみがレコード大賞最優秀新人賞を受賞した瞬間である。
 玉置宏の紹介の中、トップバッターとして彼女が登場。懐かしい。高校、浪人、大学時代が鮮明に蘇る。
 クルマの免許取立ての頃8トラのカセットで聴き続けていたチェリッシュ。中学時代の黛ジュン。皆懐かしい。
 小学生の頃、文通が流行った。最初の手紙で自己紹介をする。その中で好きな歌手を書く。男も女も大抵舟木一夫か西郷輝彦あるいは三田明であった。三田明は御三家に入れなかったが、一時期、御三家を凌ぐ人気があったと思う。その三田明で小学時代を思い出す。
 出演者は皆それぞれ歳を重ねているが、昔のイメージが残っている。歌っている姿は特に美しい。僕のカコちゃんも昔のまま可愛い。
 妻も自分の思い出を辿っている。斜め前に座っている人は平浩二に手を振ってもらい涙ぐんでいる。皆それぞれの思い出を懐かしんでいるのだ。
 目を閉じれば小学中学時代の級友の顔、高校大学時代の出来事、若い頃の父母の顔、兄達の言葉さえ浮かんでくる。少しも睡魔が襲うこともなく2時間30分が過ぎていく。
 最後にサイン色紙に交換出来るカラーボールの客席への投げ入れが始まる。ラッキーにも麻丘めぐみはちょうど私の席に近い位置だ。甲子園での苦い思いが残っているため慎重に構える。彼女が私に向かって投げてくれた。(私はそう思った)多くの手を掻き分け見事キャッチ。私の喜びは最大の状態で閉幕となる。
 いそいそと交換所へ、ボールを差し出すと同時に判読不明の色紙を手渡される。「誰の色紙ですか」と問うと「・・・だと思います」「麻丘めぐみに替えてください」と言えば、三田明と平浩二、山本リンダと中村晃子の区別も出来ないような若僧の係員が誰でもええやろと言うような顔で「選択は出来ません」と。私の喜びは消えていく。気を取り直し、黛ジュンの本とCDを購入し握手をして貰い帰路につく。
 平日の公演のためか女性が多く橋幸夫、三田明、平浩二のファンが多いと思われ私よりやや年配の人(私達夫婦がそう思っている)が多かったが、私達の世代(特に男性)が一番楽しめるメンバーの公演だと思う。(敬称略)
 出演 麻丘めぐみ、黛ジュン、チェリッシュ、三田明、あべ静江、平浩二、橋幸夫、山本リンダ、中村晃子(順不同) 司会玉置宏

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